2012年11月2日金曜日

書を捨てよ、町へ出よう ―若者達へ―

         ・・・そねだ ゆ

 卒業してすぐに、勤めながら土日にはヴァンタン・デザイン研究所の設立を手伝いながら、イラスト科で宇野亜喜良などに習っていていました。そして、彼がポスターを描くようになる「天井桟敷」を始めようとしていた寺山修司に出会いました。この時、サイハイ・ブーツまで銀色の白石かずこにも出会いました。
 幼少の頃から、女子美の2期生だった祖母や蕗谷虹児や加藤まさをなどにはまっていた叔母たちの影響で、絵と詩を始めていましたから、寺山に危うく取り込まれるところでしたが、やくざな生き方を選ぶことのできなかった身の上で、絵心と詩心が、表現を求めて己を突き破ろうとする強い疼きを抱えたまま今に至っています。

 芸大などを卒業しても絵描きだけで生きて行ける人は稀です。まして美術関係の学校に行けず、それでも己の心のイメージをアウトプットしないではおられない人達がいます。そうした人を発掘して、コレクターや画商がメンバーになってコレクションを展示するクラブがあるので、そこで彼らを紹介する活動をしています。これまでに何人かは画商の目にとまった作家もいます。

 さて、一方の詩について、私は、ネットで調べてもっとも“詩は頭でなく心で作るもの”という私の幼少のころから抱いていた詩観に忠実な「草原」に身を寄せました。主宰の北田傀子師はその著書『随句の基調』に示されるように、“良い随句とは、どういう特徴を持っているか”を研究してまとめたこの書から学ぶものが多かったのです。

 良い句とは、読み手の心にすとんと落ちるもの、詠み手の感動を直に伝え、相手の心に突き刺さり、鷲づかみするものだと私は思っています。そのためには、句は頭で捻って作りだしたものでしょうか? それとも自分が受けた感動した事象を的確に把握してそれをそのまま素直に表現することでしょうか? 私には後者以外には考えられません。

 感動を素直にそのまま表現することが、5・7・5に嵌る言葉に置き換える時に、すでに素材は別物に加工されていて、感動の新鮮さを失ってしまいます。人が感動する時に浮かぶ言葉は、私たちのDNAに組み込まれた韻律の弦に響いていたから感動したものですから、その言葉を使ってそのまま表現すれば、自ずとその詩や句には韻律は備わっています。これが自由律俳句(=随句)が本来求めてきたはずのものです。

 100年前に生まれた自由律俳句結社は、今やその本来の活気を失い。高額の会費と句歴だけが評価されるものになっています。これでは、新しい作品や作家が生まれるはずもありません。
 また、○○賞などがありますが、ある結社が主催で選者になっているものでは、やはりその色のあるものが選ばれる傾向があります。これまた、新しい才能は生まれるはずもありません。
 一方、「東京自由律俳句会」や「自由律句のひろば」は互選であったり、撰者の出自に多様性があるものでは、比較的新しい才能が評価される可能性があると思います。
 実際、「東京自由律俳句会」では、矢野錆助さんが多くの特選を得て、2位となりました。
また、「自由律句のひろば」では、馬場古戸暢さんが大賞と同点の準大賞と俳句界賞を得ています。句歴が数年でも多くの人の心をつかむ句を生む力を持つことができたのは、作家の感性ももちろんありますが、それをドラゴンへの道に導いたのは、『随句の基調』だろうと私は思っています。

 皆さん、家に閉じこもっていないで、開かれた句会に参加し、応募して、皆さんの随句魂に光を当て大きく育てましょう。

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