2012年12月8日土曜日

花摘む記 (第1回)

         ・・・矢野錆助

 浜千鳥小さく鳴いて誰もいない  啓司
チチと鳴く千鳥の声が浜風に乗り私達の耳に届く。千鳥の囀りが逆に静寂を際立たせる。

 溜池の底に落ちた新聞紙ひらいている  啓司
澄み切った水底を覗けば、まるで海藻の様にユラユラと揺らめく新聞紙。句にする事で、実景が幻想的な景に変わる。

 細長い水路の先まで青空うつる  啓司
キラキラと輝く水面に青空。快晴の空の爽快さと澄み渡る水路の水の清らかさ。

 山間の靄ふるわせてヘリが行く  昭代
ヘリの音は大気を揺らす。音が伝わると云う事は、そういう事で、実に当たり前なのだが、揺れる靄を見たところに、この句の詩がある。

 引っ越して墓が遠くなった  多喜夫
実家とは生を得て入る場所。墓とは生を終えて入る場所。人生の始まりと終わり。そのどちらも離れるには偲びない場所なのかも知れない。

 雨上がり雨滴は光る  暁子
雨上がりのあのキラキラとした空気は、数多の水滴が光を反射して作り出しているのかもしれません。

 柘榴の木に柘榴なく冬に入る  傀子
ザクロのあの存在感のある実が全て無くなる冬の景とは、まさに枯れ木に雪の寂しさである。

 夕日にうつむいて茶の花  傀子
茶の木は我々の腰くらいまでの高さしかない。己の無力感に俯いて歩む夕暮れ。その落とした目に小さく白い茶の花が映る。

 ゴミ収集所の札下げて山茶花満開  傀子
満開の山茶花の前に積まれるゴミの山。理由は山茶花の生垣に掛けられた「ゴミ収集所」の札。現代風景を切り取った一コマだが、それでも満開の山茶花の存在感は圧倒的。

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