2013年2月2日土曜日

随句の道をゆく

         ・・・そねだ ゆ

 読売新聞の文芸欄に住宅顕信を紹介する記事がありました。
 戦死した私の父の書架には父の蔵書があり、小学校に行く前から私はそれらの蔵書を読んでいました。その中に堀口大学の訳した『月下の一群』があり、その中のジャン・コクトーの以下の詩が特に心の入れ墨として刻まれています。

  私の耳は貝の殻
  海の響を懐かしむ

 その私の心に顕信の自由律俳句が、共鳴したのです。俳句はもちろん知っていましたが、その印象と違い、コクトーに近い懐かしさを感じました。
 そこで、自分もやってみたいとネットで調べ、自由律俳句結社の「層雲」や「海紅」を知りました。しかし「層雲」や「海紅」は、ネット情報が少なく、「海市」「こころ俳句」「随句の部屋」といったHPが目につきました。私の仕事はマーケティングですから、ネットに熱心でない活動は高齢者が多く、活動が閉鎖的で将来性がないと思いました。
 「海市」はその後藤本一幸さんの体調不良もあり活動が停滞したので、断念。
 「青い地球」系の紫苑恵さんの「こころ俳句」も紫苑さんの体調が不調となり、お休みになりました。
 最初の調査で、HPを見て私の「詩は心で作るもの」という詩観に最も合致して、ネットへの取り組みに積極的な北田傀子先生に教えを請うことにしました。
 当時は、月刊誌「随句メイト」と季刊紙「随句」が発行されていました。当初私は、かもめサイト(句会)には参加する気はなかったのですが、先生からの強いお勧めで、ちょうど「草原」が創刊する平成15年1月からかもめサイトにも参加することになります。
 句会は、秦野市の葛葉緑地にある「くずのはの家」とういう市営の自然観察施設というログハウスで、自然に囲まれたいい場所で、吉田幸市さんの車に先生と一緒に乗せていただいて行きました。女性陣が腕によりをかけた手作りお菓子などは句会の楽しみの一つでした。その他、近郊への吟行や一泊の旅行など季節ごとに行いました。先生や会員の高齢者が増えたことに寄り、山口や小豆島などへの山頭火や放哉を訪ねる旅は不可能になっていましたが、秦野駅脇のレストランで新年句会や夏の納涼句会も恒例行事でした。
 私は、何かを始めると、集中してプロフェショナルに近いレベルまでやる性格なので、ずいぶん勉強したつもりですが、この業界の古い体質、実力より年功序列だとか、結社の閉鎖性など、芸事俳句と私が言う旧い体質やセクショナリズムが多く、また、随句の基調ではなく、小手先でいじくる作り方が横行する様で、若い作家に魅力的ではない状況です。これは随句の危機だと思っていて、これを改革するのが私の使命かなと思っています。
 ネットでの活動やそれに伴う全国的展開と若手の活躍への支援、随句の基調の啓蒙等を重点的に進めたく思っています。

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