2013年8月21日水曜日

草原再訪(第5回)

         ・・・馬場古戸暢

『草原』15-05
総評:多喜夫と啓司、昭代の三氏に、佳句が多い。特に啓司句は、いずれも秀逸。

 気まずい昼のお茶漬けの音  としこ
前句に「どうにかしたい後姿について行く」とあるので、伴侶や家族と喧嘩でもしているのかもしれない。お茶漬けの音が寂しさを誘う。仲直りできますよう。

 よもぎ摘む背に電車の轟音  芳江
線路脇の土手に生えているよもぎを摘んでいるところ。数歩間違えれば、列車に轢かれる恐怖を味わいながらの、よもぎ摘みとなった。

 校庭をぐるりと桜咲き始めた  愛蓉
桜の木が、校庭を囲むように植えられているのだろう。ぐるりとと表現したところに、面白みを感じる。

 白衣脱けばただの人  多喜夫
白衣を脱いでも医者は医者な気がするが、どうなのだろうか。感覚が面白い。

 なかなか燃えない帆立の貝殻  多喜夫
帆立の貝殻は燃えるものなのか。燃えないとすれば、この句の面白みが増す。

 ビールものめない切れ痔になった  多喜夫
快癒を願うほかない。

 田圃の真中に藤色の風船落ちてきた  啓司
普段はなかなか見ることのない、新鮮な景。この風船、いったいどこから何のためにやってきたのだろうか。

 荷台から空に向かってマグロの尾びれ  啓司
海から揚がったばかりのとこっろを詠んだものだろう。海の幸の豊潤さを表しているかのようだ。

 母退院で揺れる家の陽炎  操子
母の退院と家の陽炎との間に因果関係はないだろうが、二物をもってきたところが面白いと思う。母の退院を祝福して揺れているのだろうか。

 病む足洗った白さなど墓石を洗う  昭代
この病む足は詠み手の足か、それとも墓石の中の人の足だったか。

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